2018年09月29日
思考形態としての珈琲

長月ブレンドを淹れる
自分も誰かの環境のひとつとして存在するという事
自分という意識からは内面の存在あるいは自分の身体を目で確認する事、自分が思っている自分、何もないという日常という所からのシミュレーションをしてみて また本来の自分と思ってる環境の中の自分に還る。その中での事を検証する事に何もないという事はありえないなと思う
アナログ到達点としての延長、そこまでへの逆算 そういう意味での長期的スケジュールの逆算
そういう意味での180から190への変化が大きい、酸味という観点では170もやってみようかと思います。あらためて数字という明確なものありきでは持ち味というのは発揮できない様になってるのだなぁと思いました
主食についての話しをしました
思考形態としての珈琲
そういう珈琲だなと思いました
そういう気持ちから来るものです
Posted by もくれん at 12:05